ゲームコーナーよんぷら♪

元ゲーム戦士の戯言

家庭用ゲーム系の被害

津波で水没した、ハードとロムカセットはほぼ全滅。

幸いな事にCDとDVDメディアのソフトは水洗いで綺麗に洗う事で、再使用可能だった事。

当然、ケースや取説は再使用不可能になってしまいましたが(-_-)

すべてのCDDVD系ソフトを100均のCDケースに入れて保存する事になったので、今までのケース事保存していた時に比べ、保管スペースが10分の1ですむようになったのは良くも悪くも…。

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  1. 2011/10/31(月) 00:24:38|
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アーケード関係の被害

震災で最も被害をうけたゲーム関係の物と言えば、やはりアーケード関係。

貴重なゲーム基板は海水に浸かって全滅(;_;)

アストロと、イーグレット匡体(何故か漢字変換出来ず)も電源ユニットと、中の基板は水没した上、生活空間確保の為、野外に数ヶ月放置した為最早使い物にならず、完全分解して破棄。

インストカードや、その他紙類のアイテム、また、レバーやボタン、電源、使用可能なブラウン管モニタなどの予備、補修部品も全滅。メダルゲーム(ハイスクールかんちゃん)も、水没…破棄。

今、手元にあるのは、重くて動かせなかったパワードリフトの匡体(側のみ)と、震災時も台として使用できたテーブル匡体(こちらも側のみ)。

後は、壁に貼ってあり助かったギャプラス、ドルアーガ、ゼビウス、ドラゴンバスターのポスター。

アーケード関係で残ったのはこの6点のみ(-_-)

震災で多くの方の命や家が失われた事を考えれば、命があって、元の家で生活できているだけでも。とてもラッキーで幸せな事だと思います。

しかし最近ふと匡体で飛翔鮫やイメージファイトを無性に遊びたくなる事があります。

以前はなにげなしに楽しめていたものが今は全て無い…と言うのはとても淋しく感じます。

そんな風に思える様になったのも、普段の生活が安定してきた証拠ですよね。
  1. 2011/10/24(月) 03:12:10|
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震災時の状況4

震災時の状況…として事細かに記していこうと思っていたのですが、やはり拙い文章では限界がありますね
(^-^;

と、言うことで、一気にはしょってゲーム系の話にいきたいと思います。

とにかく、水道が復帰し、水が使える様になったのが、震災から10日後。

電気が復旧したのが震災から25日も後の事でした。

ライフラインと、食料の確保が出来るようになり、生活が安定するのに、1ヶ月以上かかりました。

その頃になって、やっと生活必需品以外の自分の趣味の物の整理…分別が出来るようになってきました。

と言ってもほとんどが水没していて、ゴミとして処分しやすい様にごみ袋に入れ、とりあえず家の前の畑に仮置きすることでしたが…。

その数、1番大きいゴミ袋で約100!!

震災後に家を訪れた友人などはゴミと化したアイテム群を見て自分よりも衝撃を受けていたのがわすれられません。

  1. 2011/10/23(日) 20:01:01|
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震災時の状況3

地震発生から、3日目にして、やっと帰ってこれた我が家。
自宅までの道のりが、凄まじい状況だったので、覚悟をしていたのですが、ぱっと見倒壊等はしていなく一安心…。
しかし、家の中は水びたし、床上30センチ以上は水に浸かった形跡がありました。
特に母屋は筑60年と古い家屋だったので畳は浮き上がり、床板がみな抜け落ちた状況…そのままではとても人は住めない有様でした。

幸い離れの部屋である、私の自室…「よんぷら」はフローリングでダメージもなく室内の泥を掃除すれば人が住むには問題なかったので仮住まいの場となったのです。

で、家族だけならまだしも、津波で完全に家を失った妹夫婦…合計7人がこの「よんぷら」で生活する事になったので大変でした。

こうなると、大事なゲーム関係うんぬん…などと言っている隙などなく、生活空間を作るためゲームきょうたいは外に出されそこでの窮屈な生活を余儀なくされました。

それでも、完全に住む家を失った人々に比べれば自分はマシな方だと思いましたが…

ちなみに床上30センチと言うとたいした事のないように感じますが、地面からだと90センチ程…ゲーム系アイテムを保存していた倉庫は床が地面と同じ高さなので地震で物が崩れた後に90センチの津波…泥まみれの塩水を被ったためにほぼ壊滅してしまったのです。

特に貴重な物や壊れやすい物…ゲーム基板などは地震などで落下しないよう1番低い所に置いていたのが逆に裏目に出て全て水没してしまいました。(-_-)

自分の物だけならまだしも、寄贈してもらったものも沢山失ってしまったので大変申し訳なく思っております。

さて、やっと家に帰ってきて、何とか寝る場所は確保できたのですが、水もない電気もない食料もない…自宅から数十メートル先は未だに冠水していて震災後3日たつのに家に帰れない人…数百人が着の身着のままで焚火をしながら水が引くのを待っている状況…しかも気が付けばその辺に遺体がごろごろと転がっている…正に地獄絵図…映画やドラマやゲーム等とは全く違うリアリティ…というか見慣れた風景の変貌ぶりにショックを受ける…と言うより何か麻痺したような奇妙な感覚になった記憶があります。

つづく

  1. 2011/10/17(月) 08:08:43|
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震災時の状況2

道路の冠水で、自宅に帰れなくなり、路頭に迷っていたその時、見覚えのある車が…それは母の車でした。
大きく手をふって呼び止め、無事だったのを確認したのも束の間、「津波がきてるから逃げろ!」と母。
話を聞くと、今さっき自自分がUターンしつてきたあたりはもう水没している!と聞かされ、二人で更に内陸の某公園まで避難しました。

その公園は災害時の避難所ではなかったのですが続々と人が集まってきていて、いろいろ情報収集しているうちに、辺りは暗くなりはじめ、街の方向の空一面が火事で真っ赤にそまっていくその様子に言いようのない不安感に襲われていました。

一晩目は公園の車で夜を過ごしましたが、とにかく寒さと不安で眠れたものではありませんでした。

夜が明け、ふたたび自宅へ向かいましたが、昨日より冠水している場所が増え、とても家には帰れない…と諦め、内陸の親戚の家へ。こちらでもう一晩とめてもらい、三日目の朝もう一度自宅へ向かってみました。
まだまだあちこち冠水していましたが何とか一本だけ家へ行けそうな道があったので恐る恐る自宅方面へ。

ちょっとした高台を越え、津波の被害があったなじみありる町並みを見回して愕然としました。

第一の感想は、とにかく泥で一面「真茶色」だった事。
そしてその凄まじい状況。

地元のメインである、国道45号線上には多数の船と材木が打ち上げられ、車はまるでミニカーの様に通常有り得ない状態で折り重なるように道を塞ぎ、電柱は折れ曲がり電線が地面へと垂れ下がっている有様…この衝撃的な光景の中を進み我が家へ…自宅は?

つづく

  1. 2011/10/15(土) 12:23:09|
  2. 震災
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震災時の状況

まずは3月11日の状況から。
震災当日は自宅から30キロ程内陸の職場で働いていて震災にあいました。
職場の中のあらゆる物が倒れてきて、凄いことになりましたが怪我もなく何とか外へ避難。
しばらくして帰宅指示がでたので、迷わず家へ。
この時、ラジオでは引っ切りなしに、津波警報を流していましたが、この時はまさか、自宅まで津波が来るとは全く想像もしていませんでした。
家路を急ぐも、案の定大渋滞で、中々家に近づくかません。
雪は降ってくるは、ガス欠になりそうだわで、きがきではありませんでした。

それでもやっとの思いで自宅まで後1キロ程の距離まで来たとき、異変を感じます。道路が冠水していて多数の車が立ち往生していたのです。
それでも、激しい水の流れなどは感じられなかったので、それが津波だとは思わず「水道管が破裂したんだな…」等と非常に楽観的な考えをしていました。
どちらにせよ、先に進めなかったので水が引くまでどこかで待つしかないか…と思い、車をUターンさせ、元来た道を戻り、とりあえず路肩に車を止め、一息つく事にしました。
この時は、とにかく「地震の揺れでの自宅の倒壊」だけを心配していた記憶があります


つづく
  1. 2011/10/13(木) 08:56:02|
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復活

震災から7ヶ月
やっとネットの世界に帰ってきました。
3月の震災で「よんぷら」は津波の被害で壊滅的な被害にあいました。
詳しい状況は少しずつ話していきたいと思いますが、ぶっちゃけゲーム系のアイテムは九割方失われ、アーケード基板に関しては全滅…と言う有様です('-'。)
いろいろありますが、とりあえず頑張っていこうと思いますのでよろしくお願いします。
  1. 2011/10/11(火) 09:27:36|
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