ゲームコーナーよんぷら♪

元ゲーム戦士の戯言

東日本大震災から6年



東日本大震災からまる6年。

自宅は浸水したものの
幸い家は流されなかったので順調に復旧し、
今ではあの震災が本当にあったことなのかさえ朧気になりつつある。

が!上の津波動画とかを見ると
改めて戦慄する。

未だに「津波なんて泳げばなんとかなる」的な発言をする人も
いるみたいだし

実際に泳いで助かった人も多い。

が!それはたまたま強運だっただけで

運が悪ければ瓦礫と一緒に
ミキサーにかけられるようなものなので
そんな中で生きる方が無理。

とにかく高台へ逃げるのが先決だ。


さて、ここのblogを開設したのは
震災から7か月後の2011年10月

あの頃はまだ震災直後だったので
あまり震災に関する際どい部分は
書かなかったのですが

6年目という節目なので
あの頃自分が見た事、
体感した事、感じた事を思い出す限り記してみたいと思います。


まず衝撃的だった光景。

震災から数週間後、
海沿いに行ってみたのだが

海風を防ぐ防風林に
大量の車がぶら下がっていた事

しかも地上から2メートル以上の高さに
皆ボンネットを下にして釣り下がっていたのだ。

津波にさらわれる途中で
木に引っ掛かったのだが
車はエンジンが重い為、
そのような状態で引っ掛かっていたのだ。

延々と続くその光景に不謹慎ながらも
「まるでクリスマスツリーみたいだ…」
と唖然としたのを強く覚えている。

津波直後にはその木に
大量の遺体も引っ掛かっていて
地獄絵図だったらしい。


次に思い出すのは
やはり遺体を見た事。

さすがに顔には毛布?が掛けられていたが
足が引きちぎれていて
その肌はもう血の気がなくなり
真っ白だった。

なによりもそれが道端に無造作に
置かれていた事に改めて事の重大さを思い知らされた。


あとは、直接見た訳ではないが
中学生の頃の同級生が
自宅から数百メートル離れた
電信柱に掴まったまま凍死していた事。

なんとか津波から逃れて
電柱に登ったが濡れた体で
氷点下の中一晩もいたら
助からないだろう。

自分はたまたま
内陸の職場に通っていたので
難を逃れたが
1歩間違えば彼のようになっていた可能性も大いにあった。

運がなかった…の一言で済ますには
あまりに重い。



後は、数キロに渡る商店街の襲撃。

こう書くと、いかにも外国人の
暴動をイメージしてしまうが

青空の下、淡々と裏口(時には表から)
を壊し店舗に入り
中のものを持ち去る光景。

しかも一人や二人ではない
もう数百人単位。

とは言え、それらの店舗も
多くは1度水没している為
ほとんど瓦礫の中から
使えるものだけ確保している感じだったが。

まぁ、完全に被災している人達が
オムツとか食糧とかをあさっている分には、まぁ仕方がないとも思うが

そうでない人が沢山いたのも事実。

津波でとんでもない被害を受けた地区でもちょっと(数キロとか数百メートル)内陸に行くと
ほとんど被害が無い地域も多かった

そんな場所からやってきたと
思われる人々が

例えば車のパーツとか
酒とか化粧品とか

嗜好品を採りに群がって
いる光景は正に目が点状態。


警察も警備も完全に機能していない状況だと人間はこうなるのだ
という現実を垣間見た。

と、同時に物凄い恐怖に襲われたのも事実。

殺気だっている人も多かった為
なにか間違ってトラブルになり
殺されても警察が機能していない
という恐怖。

たぶん治安の悪い外国とか
あんな感じなのだろうと
今にして思う。


まぁそういうのを目にしているだけに
震災でも秩序があり、
譲り合って日本人は素晴らしい
的なテレビの報道をみると
違和感を感じる事も多い。
(それでも海外に比べれば遥かにマシなレベルなのだろうが)

もちろん、凄く親身に助けてくれる人も多くいたが

そうでない人間も驚くほど多い
と言うのを胆に命じておかなくてはならない。



他は、震災から2日後、
まだ家に向かう道が水没していて
公園に身を置いていたのだが

ちょっと内陸に親戚の家に行ってみようと
車を走らせていたら


スーパーが青空市場のように
売れる商品だけ外で販売している
のを発見(店内は被災して使えない為)、

直ぐに車を止めて
「スポーツドリンク一箱」と
「缶詰十数個」をゲット

この時、ある程度は常に金を持ち歩いていないといけない…と
身を持って知った。


そこに
バンに乗った土方の人が
若い子分を沢山つれてやってきて
親分らしき人が全員に金を渡し
「買えるだけ買え!」
と指示を出し商品を買い占めていく様は圧巻だった。


買い占めはダメとかなんとか
そんな倫理もクソもない。

ただ正直、ああいう組織立って
強引に行動していく人達が
イザという時生き残っていくのだろう…と強く感じた。



まだまだ色々あるが
久々に震災直後の衝撃的だった事を
思い出して羅列したら
凄い疲れたので今回はここまで


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  1. 2017/03/10(金) 21:13:34|
  2. 日記
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:3
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コメント

忘れてはいけない

いつも拝見させていただいております。

自分はあの震災の時、首都圏に居まして
電車が止まっただの、スーパーが空いてないだの
いろいろありましたが、記事を読んで震えました。

東北の被害に比べたら、首都圏は生っちょろいですね。

震災の話は、皆、思い出したくない話題ですので
あまり話してくれなくなりました。
しかし改めて、こうやって経験を書いて伝えていくこと。
忘れてはいけないことだと改めて思いました。
  1. 2017/03/11(土) 21:21:33 |
  2. URL |
  3. KABU #djnh.SQU
  4. [ 編集 ]

ニュース記事でしか状況を知らないので、こうやって実際に現地で経験のある方の
お話を聞かせていただくと、心に染み入ります。
個人的には、阪神大震災のだいぶ後に現地を訪れたことがあるのですが、
建物がほんの数度傾いているだけでものすごい違和感を覚えました。
今現在、こうやって平穏に暮らせていることは本当にありがたいことだと、あらためて思います。
  1. 2017/03/11(土) 00:41:42 |
  2. URL |
  3. 獣 #mQop/nM.
  4. [ 編集 ]

生きてるだけでラッキーっすよ。

そんな状況でも生き残ることが出来た方々は、生き残るべき理由があったから生かされたんじゃ無いかなと思ったりもします。

震災前から継続的に、好きなことや日常を書き続けていられるこのブログも、僕みたいな読者から見たら存在し続けてくれて有り難いですよ。

多かれ少なかれ人には役割があるんだと思います。
  1. 2017/03/10(金) 23:20:46 |
  2. URL |
  3. まさを。 #-
  4. [ 編集 ]

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